奈良県の大和高原一帯に茶樹の栽培が全般的に盛んになったのは文化文政以後と考えられています。
明治以後は貿易品として海外に輸出されるようになって次第に発展しました。
記録として「安政6年にはわが国から製茶30万斤(180トン)が輸出された。
これらの輸出茶は山城を中心として、大和、近江、…などの産出品であった」とあります。
それから類推すると、田原地区の家が立派な理由がわかります。日本的家屋で大きな家が多いのです。
おそらくお茶産業は活況で輸出によってかなりこの地区は潤ったのでしょう。
今は、お茶の産業はかなり縮小し後継者不足で、その存続が危ぶまれています。
コーヒーなどのほかの飲料や嗜好品が出回っているからと考えられます。
しかし本来長く飲まれてきたお茶は日本人の体に合うはずです。そして健康にも良いです。
美味しいお茶の淹れ方などをもっと周知させることで、もう一度お茶を飲む人が増えてくれることを願います。