古事記を編纂した太安万侶の墓は
1979年、田原地区の此瀬町にある茶畑の中で発見されました。
骨は残っていませんでしたが、木櫃と墓誌が発見されました。
(木櫃と墓誌は、橿原考古学博物館で見ることができます。)



太安万侶の邸宅はJR奈良駅近くの現在は高校があるあたりと推定されています。
養老7年7月7日(723年8月11日)、太安万侶公は亡くなりました。
遺体は田原まで運ばれて火葬され埋葬されました。埋葬された場所は急斜面の南向きです。
奈良時代に標高400-500mの高地までどうやって遺体を運んだのでしょうか。
真夏です。貴族には遺体が腐敗しないよう氷が使われました。
その氷は都祁の氷室から運ばれたかもしれません。
古代の人々の健脚ぶりがうかがえますね。

田原ナチュラルファームの畑や茶畑はそのお墓の近くです。
素敵な茶畑の風景のなかにお墓はたたずんでいます。
1300年後、茶畑の中で眠っていることになるとは
太安万侶公本人も思いもよらなかったでしょう。
昨日は茶畑作業の後、夕陽がきれいでした!
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